死刑執行か...

昨夜は、銀座の「ひょうたん」支店で、うなぎを食べた。
美味しいうなぎを食べるといつも思うんだけど、昨夜も「自分の意志とは関係なく、私のために蒲焼になってくれた、このうなぎさまの生も背負って、明日からまた頑張って生きていくぞー」と思った(笑)。

でも、帰りに駅の売店とかで、大阪池田小の殺人事件の犯人が死刑執行された、という新聞の大見出しが気になった。めちゃくちゃ早期の執行だなあ、と。

家で新聞とってないし、ネット環境にもなってないんで、今日になって、会社にある新聞や、ネットニュースを読んだりした。
http://www.sankei.co.jp/news/040914/sha049.htm

法学部出身とはいえ、あんまり政治や社会に興味のない私(苦笑)。
それでも、浅はかな考えだと言われるかもしれないけど、私は死刑廃止論に賛成派でございます。

人権が...とか熱く語るほど意見があるわけではないけど、狭山事件とか「冤罪」で逮捕されてる人も少なからずいる中、仮に無罪を主張してるのにも拘らず死刑執行されてしまったら、もしその人が本当に「冤罪」だったら救えないじゃないか、というのが、一番の理由。

狭山事件

それから、連続ピストル射殺事件で97年に死刑執行された、永山則夫(「木橋」とか読んだら、涙とまらなかったですよ)のこととか考えると、冤罪でなくてもこんなふうに、獄中で改心した人まで極刑にする必要があるのかなあ。
(遺族感情はもちろん最大限に配慮されるべきではあるけれど。釈放されると再犯の可能性がある、というなら、無期懲役でもいいのでは...)

永山則夫

池田小事件犯人の場合は、上記のどちらにも当てはまらない。
でもなんか釈然としない。
彼の更生や謝罪の気持ちを引き出す、ということも大事だけれど、こういう事件が二度と起こらないように、今後の社会のために、彼の精神分析とか、しつくされたのだろうか。
(一応、「犯罪学」や「刑事政策」といった講義も受けてたもので...)

酒鬼薔薇事件(97年3〜5月に起きた神戸須磨児童連続殺傷事件)の犯人が少年だったことから、成人になるかならないかの頃に犯罪を起こした永山則夫の死刑執行は、見せしめのごとく早められた、という見方があった。(97年8月1日執行)

今回の死刑執行のスピードはものすごく速いので、何か政治的思惑があるのかなあ...。
遺族感情を考慮するにしても、死にたがってる死刑囚を、2〜3分で死に至る絞首刑にして、それで遺族が完全にスッキリするわけではないだろうし、死刑囚が望んでいるとおりに死刑執行されて、それが罪を償うという意味になるのかな。
(でも、日本の政治権力構図とかに興味がないので、これ以上は政治的思惑について探究する気があまりないのだけど。)

...と書いてたら、やっぱり死刑廃止論の団体が政治的意図が明白だ、と抗議したようですね。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20040915/mng_____sya_____013.shtml

...でも、昨日のうなぎは美味しかった。
私は頑張って、人とのかかわりの中で、誠意をもって、生き抜いていきたいです。