ニッポンジン in BABA

Indian Movies / インド映画の話
ジュンさんの撮影終了後、後日出演記念品を受け取った際に、 ラジニカーントとジュンさんで記念撮影。

■日本人出演

【BABA】には、日本人が出演しています。
CAST紹介ページにもありますとおり、ケイコ・ヤマダ さんと ジュン・サカイ さんです。また、この二人の結納?のシーンで、家族役として日本人がエキストラ出演しています。みなさん、大熱演で、注目されましたね。
ジュン・サカイさん(現在、某メーカーの海外駐在員として、チェンナイで勤務中)に、2002年から2003年に数度お会いでき、いろいろお話を伺うことができましたので、ジュンさんによる情報や、日本でも製作中に漏れ伝わっていた情報をここで、まとめてみることにします。
(写真右)ジュンさんと。(チェンナイの某日本料理店にて。2002年9月)

◆日本人の出演場面◆

ケイコ・ヤマダさん

 

ジュン・サカイさん

バーバーが7つまで願いが叶えられるというマントラの、第6番目が、日本人のケイコの結婚相手のために使われます。

 ケイコは、バーバーの家の近所に住んでいますが、バーバーが叩きのめした州副首相の陰謀で、ケイコが住んでいた地域一帯の建物が、ある日突然破壊されます。

 住む場所がなくなり、インドにおいて身寄りのない日本人ケイコを、バーバーは自分の家に引き取りました。その後、ケイコは観光地で、旅行に来ていたジュンと出会い、(このシーン、あまりにもほほえましかったですねぇ。)恋愛に発展、やがて結婚することに。バーバーは、自分の家からケイコをお嫁に出すので、張りきりました。

 しかし、結婚式当日、ふるまわれた食事(当然、ミールス。美味しそう…)に、ジュンは過度のアレルギー反応を示し、危篤状態に陥ってしまいます。

 彼のいる集中治療室の外で、不安そうにしているケイコや、気遣う人たちを尻目に、一般市民たちは、「結婚した当日に夫を亡くすなんて不吉だ」「ケイコが(駆け落ちしてインドに来た、など)よくないことをしてきたから、こういう目に遭うんだ」と無責任に噂しているのが、バーバーの耳にも聴こえている。
 あと2つしかマントラは残っていないのだから、自分のために、自分の好きなように使いなさい、とバーバーの母に数日前に言われていたけれど、ケイコとジュンのために、バーバーはマントラを使うことを決断。ジュンは奇跡的に助かる…という流れです。

◆日本人女優探し◆

真偽の方は定かではありませんが、『日印国交50周年』なので、日本人女優を出演させよう、という話だったらしいです。(ジュンさんは、スタッフからそう聞いたとのこと。)

2002年2月17日に、【BABA】の制作発表がなされてから数週間後の3月半ば、日本在住のタミル人と繋がりのある筋の複数からだいたい、こんな情報が流れてきました。

「ラジニが日本人女優を探している。日本にいるタミル人に照会がきて、10人程ピックアップしてリストを送ったところ、ラジニサイドは、まず宮沢 りえ、次に藤原 紀香に関心を示した。3月末から、1か月以上インドで撮影のためにスケジュールを空けることが必須。役どころは、ラジニの義理の妹で、ラジニが血の繋がらない妹を大切に面倒をみてきた、という設定。」
日本のトップ女優が、インド映画のために1か月もスケジュールを突然空けるのは、常識的にちょっと考えられないよな…と当時その話を聞いた者同志で噂したものです。
やはり、インドの制作サイドはその壁にぶつかり?、交渉は難航どころか、やっと日本側で具体的にリサーチ・交渉をはじめようとした矢先に、はやばやとあきらめてしまったらしい。うーん、インドらしいというか…(笑)。

(日本側のコーディネーターが準備していたのに、インドから来日して交渉するはずだったプロデューサー?が、来日をドタキャンしたらしい。
国際派をめざす?宮沢 りえサイドは、本当は、少し興味を示しはじめていた?とか…。)

その噂がたって、10日ほど後、そしてプロデューサー来日ドタキャンからほんの数日後の3月24日、【BABA】撮影開始のプージャの折に、日本人女性出演!と報じられたのは、日本の現役の女優ではなく、演じるのは初めてだという、ケイコ・ヤマダさんでした。なんとも、急転直下な展開!

2002年3月24日午前10時半から、AVMスタジオ内・
ガネーシャの寺院で行われた、【BABA】撮影開始前のプージャで。
左端がラジニ、右端がケイコ・ヤマダさん。

日本に打診があった頃に、チェンナイやデリーなど、インド在住の複数の日本人にも、インドにいる日本女性でスケジュールを空けられる人はいないか、と照会していた模様です。
ケイコさんの出演の経緯、経歴は、当時「アーナンダ・ヴィカタン」に、その他彼女が出演するというニュースは「The Hindu」誌などに派手に掲載されました。そこでケイコさんが話した、という談話記事の内容が真実かどうかは、みなさんの想像におまかせすることにして。インド人の妄想が相当入ってる、ということは申しておきましょう(笑)。

◆ジュンさんの出演経緯・撮影エピソード◆

ジュンさんの撮影終了後、後日出演記念品を受け取った際に、
ラジニカーントとジュンさんで記念撮影。

ジュンさんの撮影終了後、後日出演記念品を受け取った際に、
ラジニカーントとジュンさんで記念撮影。

★ジュンさんの談話(紫字):

 チェンナイにある某日本料理店に、エキストラ出演する日本人はいないか、と打診があり、そこの常連だった私は、チェンナイ駐在の記念に、「通行人Aなら、やってもいいですよ」と言いました。
映画スタッフとのちょっとした面会を経て、いつなら撮影に来られるか、等のことを聞かれました。
自分は会社員なので、仕事のない週末の土日で撮影に行くことで了承を得ました。

当日、通行人Aのつもりでスタジオに行くと、スタッフに言い渡されたのは、「きみには(エキストラだけど、)重要な役をやってもらう」。

通行人Aのつもりが、バーバーのマントラのエピソードに絡む、重要な人物としての出演、になってしまったんですね!

ケイコさんと出会ったシーンは、チェンナイ郊外にある、遺跡のミニチュアがある(むんむん註:東武ワールドスクエアみたいなものかな?)遊園地で撮影。海岸でのデートシーンも、そのすぐ近くですよ。

ケイコさんの役は、こんな風にスタッフに説明されました。
「ケイコは付き合ってた男性との結婚を、日本の両親に反対され、彼とインドに駆け落ちしてきた。
しかし、インドで彼はケイコを置いて逃げ出してしまった。
インドで頼る人もなく、途方に暮れるケイコを助けたのが、ラジニカーント」

駆け落ちしてきたエピソード自体は、映画で直接表現されてない気がしますが、ジュンが運ばれた病室の外でささやかれる、市民のケイコへの中傷めいた言葉は、この辺がベースになってるんでしょうね。

私はエキストラなので、その他大勢と一緒にスタンバイでした。ケイコさんは、エキストラではなく正式の出演なので、他の俳優さんと同じように個別の控え室にいました。それなので、スタンバイ中にケイコさんとよく話をした、っていう程じゃないんですよ。

私は、インド映画は、ラジニカーントと「踊るマハラジャ」の名前を知っていたくらいで、インド映画のことはまるで知りませんでした。
当然、俳優さんも全然知らなくて、スタンバイ中、近くに座っていたキレイな女優さんに、名前を聞いたんです。聞いただけでは分からなかったんで、彼女に紙に名前を書いてもらったんですけど、「サンガヴィ」っていう人でした。気さくで親切な方でした。

他に特に親切にしてくれたのが、ヴィジャイヤクマールさん。
結婚式の後、食事中にぶっ倒れるあのシーンで、演技指導があったんです。とにかく、勢いよくぶっ倒れてくれ、と言われたんで、私が「どっちに向かって倒れたらいいんですか?」と聞いたら、ヴィジャイヤクマールさんが、「私の方に倒れてくればいいから!私がちゃんと支えてやるよ!」と言ってくれたんです。頼もしかったです。

あのぶっ倒れるシーンは、2カット撮りました。1回撮って、食ベ物の前で倒れたので、一度服を乾かした後、別の角度から、もう一度撮りました。時間かかりましたよ。

質問:一度に、双方向でカメラを設置して撮れば1回で済むんじゃないですか?

そうなんですけど、一回の撮影に一台のカメラでした。インドってそういう形式みたいですね(笑)。

質問:あの結婚式は、日本人同士なのに、何故ヒンドゥースタイルなんでしょう?

それは私も不自然だと思いました。当初は日本式で、という話もあって、日本ではどういうスタイルかをいろいろ聞かれました。誤解されないように、一生懸命説明はしたんですけど、現地のスタッフたちは頭が混乱しちゃったみたいです。それで結局、いつのまにかインド式になってました(笑)。
日本式で撮影した方が、インドの人たちに日本の文化を観てもらえていいかも、と思ったんですけど。

出演料ですけど、制作サイドに「いくら欲しい?」とは言われたんです。でも、(一緒に出演した他のエキストラの日本人も、)ノーギャラでいい、と答えました。
こういう文化交流の場で、金銭面で揉めたりして日本人は守銭奴だ、とか思われたくないですしね。その代わり、「最高の想い出をください」とお願いしました。
おかげで、楽しかったですよ。ラジニカーントは、かっこよかったな!

でも、出演料はいらない、とは言ったけど、映画の切符ぐらい、もらっておけばよかったですよ。
インドで映画を観に行ったことがなかったし、どうやって観たらいいか、とか思ってるうちに上映終了しちゃって、結局、一度もスクリーンで観てないんですよ。VCDを後日、シンガポールで自分で買いました。自分のシーンはなんだかよく分からなかったんですけど(笑)。

そうそう、撮影時に、「8月15日頃予定を空けておくように」と言われてたんです。BABAの公開初日、日本でも舞台挨拶があるかもしれないから、って。結局、うやむやになっちゃいましたが…。日本でまだ公開してないんですよね?

…残念ながら、これを書いてる2003年12月現在も、BABAの日本上陸は決まっておりません。ジュンさんの舞台挨拶が、将来実現するといいですね!

◆ラジニカーントの印象・想い出

ジュンさんとラジニって、
背丈同じ位なんですねえ。

 ラジニカーント、かっこよかったです。他の人と雰囲気が全然違う。
いつもずっと、ひたすらタバコをスパスパ吸ってましたよ。
ノーギャラでしたけど、自分の撮影が終わった後日、BABAの刻印のされたペンダントを記念品としていただきました。(上の写真でジュンさんの首にかかっているもの)
その記念品を受け取りに行った日も、【BABA】は撮影中で、撮影の合間にラジニカーントが来てくれて、労をねぎらい、記念撮影に応じてくれました。これらの写真は、そのときのものです。
すごく印象に残ったことといえば、ラジニは一人で座って静かにしていることが多いんですけど、ある時、撮影の合間にひとりでマンゴーを食べてたんですよ。あれは、見ててビックリしました。

質問:ラジニはどうやってマンゴーを食べてたんですか!?

 他の人が何も食べてないときに、たった一人で、椅子に座って、スプーンを使ってマンゴーをシャリシャリ食べてたんですよ。人前で気にせず食べてる姿を見て、すごいな、この人、って思いました。なかなかあれは真似できないですよ!
 一人で寡黙にマンゴーをスプーンですくうラジニ…絵になるな。

ジュンさん、いろいろお話、ありがとうございました!

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