CHALANGGAI (DANCING BELLS) (ダンシング・ベル)

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Title : CHALANGGAI (DANCING BELLS) (ダンシング・ベル) (2006年 Malaysia 98分) ※言語はTamil, Malay, Mandarin and English
Director : Deepak Kumaran Menon (ディーパク・クマーラン・メーナン)
Music : Hardesh Singh
Starring : Dhaarshini Sankran (ダールシニ・シャンカラン), Ramesh Kumar(ラメーシュ・クマール), Kalpana Sundraju (カルパナ・スンドラージュー),

マレーシア発のタミル語映画。KLのブリックフィールズ(インド人街)に慎ましく暮らす、貧乏だけどインド古典舞踊・バラタナティヤムを習いたいと思っている妹と兄、母をとりまく物語。
地味ながら映画ならではの叙情や余韻を感じられる、心温まる秀作。

トレイラー

 

あらすじ

マレーシアのクアラ・ルンプール(KL)のブリックフィールズ。
インド人(特にタミル人)が多く住む地区に暮らす3人家族。
電車を十数分乗れば、都市開発の進むKLのシンボルであるペトロナス・ツインタワーにも行ける距離に住んでいるが、そんな都市の進化には無縁ともいえる、ある意味社会と隔絶された、裕福とはいえない暮らしである。

母ムニアンマーは花を売る露店を経営し、母子を残して蒸発してしまった夫の代わりに女腕ひとつで一家を支えている。
長男のシヴァは、勉強が苦手だと高校を中退してしまったが、就職難で定職につけず、洗車のアルバイトをしている。将来に夢をもてずアルバイトも遅刻気味、仕事している時間以外はだらだらしている。
当面の希望は、自分のバイクが欲しいということだけ。
シヴァの妹・ウマはタミル人学校に通う学生だが、学校帰りはいつも母の花屋を手伝い、自転車に乗ってお客の家に花を配達してまわっている。

昼食は花屋の屋台に3人は集まって、母の作ったお弁当を食べる。
裕福でないので、野菜のサンバルが多い。
たまにはチキンやエビカレーが食べたいと子供はねだるが、母は「今度作ってあげるね」といいつつサンバルが続くのであった。

ある日、自転車に2人乗りする母娘はある音が気になり、音のする建物の中をのぞく。
音は、バラタナティヤムを練習する人々の足鈴(タミル語で「チャランガイ / サランガイ」)だったのだ。
見とれているウマに母は「ダンスが好きなのね。今度、足鈴を買ってあげるわよ。」

ウマは足鈴を欲しいのではなく、バラタナティヤムを習いたいのだ。
でも、バラタナティヤムを習いだしたら、足鈴代だけではなく、衣裳代、レッスン代…と費用がかかる。
ウマは「立派な足鈴を買ってね」というのが精一杯だった。

父・ラージャーは家を出ているが、家族のことを忘れているわけではなく、時々ふっとそれぞれの前に現れる。
母とシヴァは「俺たちを捨てたんだ。おまえの世話にはならない。」というふうにつっぱねるが、ウマは戻ってきて、と思っている。

ある日シヴァは洗車で預かったベンツを誤って傷つけてしまい、弁償しなければならなくなる。
洗車で稼いだお金では、到底支弁できない。
親友のすすめで、仕方なくひったくりを試みるが、良心の呵責にさいなまれる。

やがて、バイクをようやく買うことになり、親友がバイクに乗って迎えにくるのを待っている。
その間、足鈴を買ってもらった妹が古典舞踊の真似事をしているが、シヴァはいらついている。

しかし、ある出来事があり…。

興味深いシーン

マレーシアに住んでいることを象徴するものがいくつか登場。
▼KLのペトロナス・ツインタワー
▼ドリアン など
特にこの上記の二つは効果的に使われている。

ペトロナス・ツインタワーは画面で遠くによく現れるけれど、ツインタワーやそういった現代的な建物や町並みに主人公たちが近寄ったりするシーンが全くなく、昔ながらの簡素な家やローカルな商店街の中で彼らの物語は繰り広げられている。
しかしその中に時々、ベンツなどの高級車が現れたり。

家を出て行った父を快く思わないシヴァが、友人の父がビールとドリアンを食べて死んだことを知ると、ドリアンを買って、自分の父が昼からビールを飲んだくれている現場に現れてドリアンをプレゼントするシーンなど、シニカルで傑作。

出演者

Dhaarshini Sankran -Uma(ウマ) 11歳の女子学生。 バラタナティヤムを習いたいと願っている。
Ramesh Kumar -Siva(シヴァ) ウマの兄。高校中退で洗車のバイトをするニート。
Kalpana Sundraju -Muniammah(ムニアンマー) ウマ、シヴァの母。ヒンドゥー寺院に献花したりするお花を編んで生計をたてている。
Shangkara -Raja(ラージャー) ウマ、シヴァの父。家を出て、飲んだくれでやくざな暮らしをしている
Bala Sundram,

制作スタッフ

Director / Screenwriter / Editor – Deepak Kumaran Menon
Art Director – Sooria Kumari
Cinematographer – Mohd Abdul Halim
Composer (Music Score) – Hardesh Singh
Cinematographer – Albert Hue
Sound/Sound Designer – Soundworks Production

参考リンク

公式サイト
Cineview
One Hundred Eye

むんむん’s コメント

パナソニックのDVカメラで撮影されたという、チープな作品ではあるけれど、観た後の充足感が素晴らしかったです。
とても現実感があって、都会の片隅の小さな社会の人々が描かれています。

映画の中で、シヴァのバイトする洗車の料金が大型車1台RM6.0でした。
何時間も車を預かって、数人がかりで洗車して、6リンギット。
ちなみに、インド映画などを映画館で観ると、10リンギット前後です。
「インドの人たちは一時だけでも現実を忘れて夢をみるためにインド映画を観に行く」とよくいわれるけれど、そんな収入では、シヴァたちは映画館もあまり行かないでしょう。

クライマックスまで主人公が幸福になれない、映画の後に続くであろう人生でも恐らく救いのない、という映画は見ていて切ないけれど、この映画はそういうのではなく、その小さな社会でも心の持ち方で何か未来に希望が見える、という作りになっています。

アジアフォーカス福岡映画祭のプログラムにも、監督のコメントが詳しく載っていましたが、監督はマサラムービーだとかでは決して描かれることのない、マレーシアに住むインド人の多くの現実を、まず世界に知らせたかったんでしょう。
でも、生活が苦しいんだよ、と悲惨さを語っているだけでは、映画を見る人は切なくなるだけ。

監督がそれだけで終わらない映画の作り方をしていることが、大きなポイントだと思います。

ラストに近づき、シヴァがあんなに憎んでいた父に、「俺もおまえぐらいの頃は何にでも怒っているばかりだった。しかし、怒りは何も産まない。怒ってばかりでは、俺みたいな大人になる。夢をもて。俺のようになるな」と淡々と諭されるシーンは、自分もたしなめられているような気分になりました。
いいこと言うな、この親父。

足鈴の音で終わるラストが、心が清められていくようで、すがすがしかったです。
大満足でした。

日記上の感想

(2007年9月16日、アジアフォーカス福岡国際映画祭〔エルガーラ・ホール〕で初鑑賞)

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