Jhini Bini Chadariya (もろい絆/The Brittle Thread)

Jhini Bini Chadariya (もろい絆/The Brittle Thread)

私の、あなたの知らない「ヴァラナシ」を、この映画で目撃する

作品概要

TIFFの作品解説より;
ヒンドゥー教とイスラム教の複雑な歴史背景をもつ古都ヴァラナシを舞台に、手織りサリー職人の男、ストリートダンサーの女、それぞれのドラマが並行して進行するが、ある事件が起こり…。

ヒンドゥー教の聖地としてメジャー中のメジャーな場所、ヴァラナシ(ベナレス)。
ヴァラナシで育ったリテーシュ・シャルマー監督により発信される、ヴァラナシのアナザーサイド。

この映画で描かれる時期はいつ頃だろう。
イスラエルからの旅行者の女性が大きなカメラを抱えて移動するし、スマホで写真を撮るような場面がほとんどなかった頃だから、スマホが流行る前かな。
本作に原作みたいなものがあるのかな、とヒンディー語の原題で検索してみると、ありました。

Sharma said it was mystic poet Kabir’s Jhini Bini Chadariya that helped him weave the fabric of this film.”It became a powerful metaphor of how people are interconnected and how life is always in the process of weaving itself,” Sharma said.

こちらの本も関係しているかもしれない。

アブドゥル・ビスミラ著【Jhini Bini Chadariya】1986年。ヴァラナシの機織職人のことを描いているとのこと。
ビスミラ氏はムスリムの村落を描いた短編を多く発表している方だそう。

でも、1986年だとか、1990年代ではなさそうだ。
劇中で、ラジニカーントのことを歌う曲が流れてくるシーンがあって。
北インド、ヴァラナシで南インドのラジニを称える歌?
そういえば1990年代あたりはラジニもヒンディー映画にたくさん出演してたしな、
・・・あー違う、そういうことじゃなくて、
多分「ルンギダンス」だったんでは。
シャー・ルク・カーンの【チェンナイ・エクスプレス】のエンドクレジット曲だから、2013年夏よりは後か。

それから、サリー手織職人でムスリムの主人公が、両親がいない理由を語る「アヨーディヤー」がキーワードか。
マニラトナム監督【ボンベイ】(1995年)の着想となった、ヒンドゥー至上主義運動からの「アヨーディヤー」事件で間違いない。
1993年の大暴動だけれど、そのアヨーディヤーだけではなく、ボンベイ(ムンバイ)にも甚大な影響があり、
ヴァラナシでも同様にムスリムが襲われ、多数の死者が出たということらしい。
親を目の前で失った少年が大きくなって職人になった今も、トラウマを抱え、いつまたヒンドゥーと衝突になるか、怯えながらひっそり生きているという背景になる。

1993年に10歳前後で、20年後の2013年ならば30歳前後か。
そこで当時インド映画年間2位の興行成績だった【チェンナイ・エクスプレス】の曲が町中でかかっていてもおかしくないね。

監督のコメントでも、2015年に構想して2018年頃撮影していたとのこと。

主人公(1)手織りサリー職人の男

ムスリムの手織職人、シャダブ。
ムスリムの彼等が自分たちが着ることのない、ヒンドゥー女性のためのサリーを織っている、
当初はヒンドゥーと折り合いをつけて調和して暮らしているということなのかとも思った。
ヒンドゥー至上主義運動の演説がスピーカー越しにやかましく聞こえてくる日常。
ムスリム達は、なるべくことを荒立てないようにひっそり生きている。

映画を観終わった後で、こうして年代を確認し直したりしているけど、観てる間は初見のものを見るのに必死。
その瞬間は思いがあまり至らなかったけど、
脳天気なマサラムービー【チェンナイ・エクスプレス】が大ヒットしていた時期にも、こうして怯えて暮らす小市民が大勢いるんだということ、
後から、じわじわ、じわじわと来る。

そこに、突然割り込んできた、イスラエルからのユダヤ人旅行者女性のアダ。
小さなムスリムコミュニティの中で生きている手織職人の青年は、別世界の彼女と話をすることで、気づきもあっただろうし、
日々の閉塞感から彼女と過ごすことで解放される瞬間もあったのだろう。
まあ、惚れちゃうよね、

でも、彼女の方は彼と住む世界が違うことをはっきり自覚していた上で、旅行中に現地の人と交流することを求めていただけだった。

タバコくれない?のシーン

だけどさー、解せないよ、あのコ。
イスラエルのユダヤ女性ツーリスト、少なくともパレスチナ問題などで自国に重い、人種間の軋轢があるはず(主人公の親戚のおじちゃんも自国で大変なはずだというニュアンスのことを言っている)の、夜間に現地の見知らぬ男性にタバコをせがみにくるところからまず「?」
ヒンディー語までそれなりに学んでインドに関心を持ってやってきてることは明らかなのに、現地の治安や文化を考えずにマイペースでどかどかと踏み込んでくるのって、白人のみなさん的に割と普通のことなんだろうか。

冒頭からこの辺が引っかかって、あんまり感情移入できんかったよ〜。

それと主人公の病弱な叔母!
甥の面倒はもちろん自分の面倒を見てもらうために「早く嫁をもらえ」と甥に急かすのは、当時としてはありふれているのかもしれないけど、
ケッ
なのだ。誰が他人の面倒をみたくてわざわざ他人の家に入るっつーの。
「お嫁さんが来てくれるといいね」と言うならまだ可愛いもんだが。
甥がどんどん追い詰められてるじゃないかー。

主人公(2)ストリートダンサーの女

そして、もう一方の主役、シングルマザーで耳の不自由な娘を育てながら、セクシーダンスで生計を立てている女性、ラニ。
ステージで踊ってるとき、子供たちも多く見てる中で、あんなあからさまに「男欲しい欲しい」系の安っぽい歌詞の歌なの!?
解せない。
(日本語訳が強烈になっているのだろうか)
そんな安っぽいダンサーを辞めさせたいと、追いかけ回してるバイクタクシー?みたいなことをしてる男。
その男をあしらいながら、ヒンドゥー至上主義運動を煽ってる地元リーダーをパトロンにしてダンサーと並行して何とかよろしくやってる彼女。
単純に大好きなママの煌びやかな衣装のダンスを、真似してみたい娘。

ラニが、はたから見ればアバズレかもしれないけど、売春婦になるなどの選択は彼女の中にはなく、限られたチャンスの中で女性として自立を目指してる。
他のダンサー志望の娘たちには男が喜ぶセクシーに見える踊り方を伝授しているが、娘にはそれを見せたくはないし同じようなダンサーにさせたいなどとは思っていない。
結局男どもに暴力沙汰に巻き込まれるわけで。
ものすごく予想通りなんだけど、描写が間接的でも、見ててキツい、キツいわー。

ある事件

(以下、ちょっとネタばれ)

個人的な「ある事件」が起こり、それが「個人的な理由」に関係のない人々に大袈裟に引き合いに出され、エスカレートし、狂気じみた世界に一瞬で変わってしまう。
ヒンドゥーの起こした事件なのに、ムスリムのせいにされる。
メディアも待ってましたとばかりに煽る。

「アヨーディヤー」からヒンドゥー至上主義、宗教間の話というだけではなく、政治が大きく絡んでいる(参考記事)ことも示唆して映画は終わる。

俳優さん一人も知らなくて、顔の見分けがあまりつかない中で見たラストシーン近くの、射殺された彼は、あの彼なんだろうか。
別人を犯人に仕立てていたのか、本人だったのか、本人だけど素性をでっち上げられているのか、分からなかった。
(ヤクの売人だなんて報道されてたけど、カノジョを水商売的職業から救い出し、ささやかに暮らしたいと願っているあの彼がそんなことをしてたとは思えない。。。)
政治的にスケープゴートに利用された、ってことはない?

↓ 監督自身も熱心にツイートしているので、映画概要(英文プレスリリース?)の部分を引用。

とても大真面目に作られた映画だと思う。
ヒンドゥーの聖地、ヴァラナシは川からのゆっくりとしたショットなど本当に神秘的だし、
普段観光客が恐らく立ち寄ることのない路地裏では人々の暮らしがあることを淡々と生々しく映していて、
夜のシーンなど、デジタル撮影だからの美しさとなのかな、今時の映画であることも感じました。
お名前からしてヒンドゥー教徒である監督から、現代でも続くヒンドゥー至上主義への疑問や不条理を映画化することは勇気が必要だったのでは。
(監督の身の安全を祈ります。 マニラトナム監督も【ボンベイ】の時、脅迫されたことなどあったみたいですしね。)

神秘的なヴァラナシを、神秘的で片付けないでくれ!
外の人も観光で消費だけしないでくれ!
写真映え、インスタ映えで終わりにしないでくれ!
・・・
などと叫んでいるような。

しんどいので、何度も見たくはないけど、もやもやしながらも余韻が残る。
そういう視点も知れてよかった。

主人公たちのその先が描かれていないけれど、
シャダブ、幸せになってー!
ラニ、生き抜いてー!
と願う。

↑「売春婦と牛と聖人」がキーワード、か。。。

(2021年11月1日、東京国際映画祭で鑑賞)

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