子育てし始めてからの約10年、時が経つのを感じるのが圧倒的に速くなり、どうも出産前の出来事があまりに遠い気がすることが多く、ほんの10年前にせっせとやっていたようなことでも忘れかけてることが多い。
そういえば、私、12~3年前は、インドムービーダンスとインド古典舞踊(バラタナティヤム)をそれぞれ3年位習っていたんだった。
辞めたつもりはなかったけど、休止してからそんなに経っちゃってる。
ヴィジャイ映画を20代の頃からずっと見続けていると、30歳頃まではヴィジャイの周りで踊っている人は割と同年代な感じがあった。
でも、40代の今、周りで踊っている人、明らかに一回り以上世代が下だよね。
昔、郷ひろみが40歳前後の頃に発表したダンサンブルなシングル曲(曲名忘れた)のプロモーション・ビデオ撮影時のインタビューで、「この踊ってる中で、一番年寄りなのが僕でしょ、そりゃ大変ですよ。彼らからしても、こんな年上と踊ることはなかなかなくて大変でしょう。」と言っていたのがすごく印象に残っていたのだけど、ある意味、今のヴィジャイがそんな感じなのかも?
ヴィジャイの【Thirumalai】(2003年、ヴィジャイ29歳)の頃に一緒に踊っていた男子たちは、今もまだ踊っているんだろうか…
バックダンサーの方々って、だいたい何歳位まで踊っているのだろう。
(バックダンサーからコレオグラファーにステップアップした人ならば年配になってもお名前を見かけたり、ちょこっと主役と踊っていたりすることもあるけれど。)
漠然と思っていたら、The Hinduで、こんな2019年の記事を発見。
Inside the life of Tamil cinema’s backup dancers
うわー!
何と!
1995年ラジニカーント【バーシャ!踊る夕陽のビッグボス】で、ラジニのすぐそばで踊ってたリキシャーワーラーダンサーズのひとりが、30年経った今でも現役だよ、という。
“Dancers would arrive in batches in the 1980s but very few got an opportunity. Out of 1,000 artistes, only 200-300 people were called for work. Of that number, about 50-60 dancers were employed frequently. So, you can imagine the margin,” says Sridhar.
1000人、映画に出ていいとライセンスを渡されたダンサーがいて、現場に呼ばれるのは200~300人、実際に映画で踊る仕事を得られるのは50~60人というサバイバルな世界だ、とスリーダル氏。
私が昔、師事していたインドムービーダンスのバラ先生に聞いた話(覚え違いがあるかもしれないけれど)。
ダンサーはダンサー用の映画出演ライセンスが必要で、コレオグラファー(ダンスマスター)は別のライセンスが必要。
ダンスマスターのライセンスではバックダンサーとして映画で踊ることはできない。(ダンスマスターとして、またはアシスタントダンスマスターとして自分で振り付けた曲に少し出てくるのは可。他者が振り付けた曲にダンサーとして参加ができない)
コレオグラファーがバックダンサーの仕事を得たければ、コレオグラファーのライセンスを放棄しなければならない。
(→コレオグラファーになっても仕事を得られるとは限らず、かといってバックダンサーとして日銭を稼ぐこともできない)
話を総合すると、ずっとバックダンサーとして生き抜いていくのも至難の技だし、そこから抜け出そうと努力してダンスマスターにステップアップしても、成功できればいいが、チャンスがつかめない場合は万事休すになってしまう(映画ダンス以外の副業に精を出すことになってしまうことになりがちか。)
※ちなみに、バーシャ!のNaan Autokaaranをはじめ、ムトゥやアルーナチャラムでもラジニの隣で踊りまくっていたカリヤンは当時は既にアシスタントのダンスマスターだったのかもしれない。
2000年頃から、自分のクレジットで振り付けるようになり、今は結構な売れっ子ダンスマスターになっている。
ダンサー稼業30年もすごいし、コレオグラファーで名の知られた存在になるのもすごいことだなあと、しみじみ、しみじみ思いました。
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