インド映画スター☆リスト(男優編)P-Z

Celebrity / インド映画界の人々の話
チェンナイの自宅にて

A-Oはコチラ

Pandiyarajan (パーンディヤラージャン) பாண்டியராஜன்

Pandiyarajan
1959年10月2日生まれ。チェンナイ出身。
コメディ俳優系のイメージであるが、主演作や監督作も多数。
俳優になりたいと希望していたが身体的に不利と判断し、アシスタントディレクターへの道に進み、バギヤラージの下で働いていた。
1985年、タミル映画【Kanni Rasi】で監督デビュー、さらに同年、【Aan Paavam】で俳優デビュー(主演兼監督)。

主な作品は、【Doubles】(2000年・監督)、【Kabadi Kabadi】(2000年・監督/主演)など。

チェンナイでサンギータのお宅に伺ったとき、紹介されて訪問したのがパーンディヤラージャンさん。日本のタミル映画ファン、ということにとっても興味を持ってくれて、彼の映画を一本も観てなかったのに歓待してくれました。
背が低めで、タミルで俳優としては不利な面もあるようですが、自分で監督やプロデュースをすることで主演も実現してしまう、バイタリティがある方!
公開200日前後を達成した映画もいくつもあるそうです。
息子さんも俳優の道を歩み始めたそうで。。。

Parthiban (パールティバン) ரா. பார்த்திபன்

Parthiban
1989年、タミル映画【Pudhiya Paadhai】で監督兼主演デビュー。
アシスタントディレクターなど、裏方出身。
自身で監督+主演をこなす数少ないタイプの俳優さんで、社会風刺的な作品が多い。

楽しく歌って踊るタイプの華やかなスターではないけれど、長年このスタイルで第一線で活躍されているので、マサラムービーって幅が広いよなーと思います。

まだ、一本通して見た作品が【Ninaykkatha Nallillei】(2001年)だけなので、あまり書けないのですが、ラジニよりも更に色黒でもスターなんだあ、と初めて観たとき思ったような記憶があります。
実直な演技をされる方です。

★公式サイト

Ponnambalam G (ポンナンバラムG) பொன்னம்பலம்

Ponnambalm G
3月13日生まれ。
ちょっと笑える悪役を演じることが多い彼は、日本でも【ムトゥ】や【アルナーチャラム】【インドの仕置人】あたりでおなじみかと。

背が高くて(足もすごく長い)、肩幅もがっしりな大男。
一瞬コワモテだけど、笑顔が子供のようにかわいい。
まるで、タミル映画界のジャイアン!

2010年のニュースでは、自分が主演で初監督作品の制作に着手してるんだとか。

一度、中華料理屋さんで一緒にお食事させていただいたとき、超特大スプーンで炒飯やらをがっつり食べてる姿に(その姿がかわいいんだ!)、スケールの大きさを感じました。
「でも、家帰ったら家のご飯を食べないと嫁さんが怖いんだよ!今日も、勿論帰ったら食べるよ!ハッハッハッ!」
とっても陽気な兄貴、って感じでした。

Prabhu (プラブ) பிரபு கணேசன்

Prabhu
1956年12月31日生まれ。チェンナイ出身。
1982年、タミル映画【Sangili】でデビュー。
タミルの名優中の名優、シヴァージ・ガネーシャンの次男。
長男のラームクマールさんによると、自分が俳優を継ぐことを期待されていたらしいが、プロデューサーになったので、弟のプラブが俳優になってくれてよかった、とか。

日本に紹介された映画では、1990年【アンジャリ】の殺人犯役、2005年【チャンドラムキ 踊る!アメリカ帰りのゴーストバスター】でラジニの相棒役。
兄・ラームクマールさんは肉食・大食漢で堂々とした体型、プラブさんも年々身体が大きくなってます。あんまり太りすぎないようにネ。
丸いお顔に愛嬌のある笑顔がステキなおじさま。
大男だけど、リズム感も結構いいんですよね!

ラジニとは、1988年に【Guru Sishyan】でも共演してますが、この映画ではラジニもプラブも徹底的におバカなことをやっていて、おもしろコメディ映画でした。あの頃は二人とも【チャンドラムキ】よりも数倍フットワークが軽いです。

Prabhu Deva (プラブデーヴァー)பிரபு தேவா

Prabhu Deva
1973年4月3日生まれ。チェンナイ育ち。(ただし、母語はカンナダ。)
著名なダンスマスター・スンダラムの真ん中の息子。
9歳でバラタナティヤム(タンジョール流)を習い、3年後にはアランゲトナム。
その後は、父と同じインド映画界を志し、14歳でバックダンサーデビュー。
16歳になった1989年には、タミル映画【Vetri Vizha】 でダンスマスターデビュー。
まるで骨のない男のように強烈なブレイクダンスを披露した1993年【Gentleman】で注目を浴びる。
翌1994年には【Kadhalan】の主役に抜擢、俳優デビュー。
ヒンディー映画にも時々出演、インド全土に知れ渡る「インドのマイケル・ジャクソン」に。
俳優として大ヒット作を何作か送り出した後、2005年には、テルグ映画で監督デビュー。その後タミル、ヒンディー映画界でも監督で大ヒット作を放つ。

Prakash Raj (プラカーシュラージ) பிரகாஷ்ராஜ்

Prakash Raj
1965年3月26日生まれ。カルナータカ州Puttur出身。
1988年、カンナダ映画【Mithileya Seetheyaru】でデビュー。
タミル映画へは1994年【Duet】で進出。

1990年代後半~2000年代前半、タミル映画界の2大悪役といえば、ラグヴァランとプラカーシュラージと言われてました。
日本では、ロードショーされた出演作は【パダヤッパ】位だが、映画祭やTV上映された【ザ・デュオ】での大熱演はたまらんです。【頬にキス】ではいい役でしたな。【カーンチーワラム】が2015年/大阪で上映される。

近年は自身が監督をしたりして映画制作をすることもコンスタントに行っている。
2002年の自身プロデュースで主演した【Dhaya】は、かっこよかったなあ!主役でもバリバリに行けるし、暑苦しい悪役もイケルし、名優!

ホテルのエレベーターでばったりお会いして数十秒ご一緒させていただいたとき、パダヤッパで知ってますよ!って話をしたら、降りるときに「おかげで楽しい時間だったよ!」ととってもフランクで、荒くれ者なイメージの強い映画と真逆な紳士だったので、グッときましたよ~。

Prashanth (プラシャーント) பிரசாந்த்

Prashanth
1973年4月6日生まれ。チェンナイ出身。
父は俳優兼監督で有名なティヤガラージャン。
1990年、17歳でタミル映画【Vaigasi Poranthachu】でデビュー。
1993年にはマニラトナム監督の【Thiruda Thiruda】に抜擢される。
なかなか大ヒット作に恵まれなかったものの、父の後押しもあり、コンスタントに主演作を発表。
1998年、シャンカル監督でアイシュワリヤー・ラーイと共演したタミル映画【ジーンズ 世界は2人のために】が爆発的ヒット。スターダムへ。
1999年【Jodi】、2000年【Parthein Rasithein】、2001年【Choklet】、2002年【Thamizh】…とその後も大ヒット作が続く。
日本でも【ジーンズ】で、「白パン貴公子」などと愛称(?)をつけられた。2015年には、【Saahasam】のロケで初来日!

Prasanna (プラサンナー) பிரசன்னா

Prasanna
1980年8月28日生まれ。ティルチラパッリ出身。
エンジニアリングを学んでいた学生時代から演技や物真似が得意で、映画のオーディションに挑戦。
2002年、マニラトナム監督プロデュースで注目された【Five Star】の主役の一人としてデビュー。
以後、主役の他にも脇役や悪役もこなし、演技派としての道を邁進中。
2008年、【Anjathey…】でITFAタミル映画部門・最優秀悪役賞を受賞。

2010年4月、在日タミル人イベント「Tamil New Year Tokyo 2010」のゲストとして来日!
(適度に色黒でお肌ツヤツヤで、とってもキュートでさわやかな青年でした~。悪役の想像がつかない…)
2015年、女優スネーハーとの間に第一子誕生。おめでとうございます☆

Radha Ravi (ラーダーラヴィ) ராதா ரவி

Radha Ravi
7月30日生まれ。
M.R.ラーダの息子。ラーディカとは異母兄弟。

ラジニカーントの【ムトゥ踊るマハラジャ】(1995年)のアンバラ様
ラーダーラヴィさんを映画でお見かけする度、アンバラ様のテーマソングが頭をぐるぐる回ります(笑)。

他にも、日本上映作品には【お水よお水】(1981年)がある。
悪役ばかりのイメージだが、良い役もたくさんアリ。
(ヴィジャイの【Sura】(2010年)では、ヴィジャイが信頼を寄せる神父様を演じてて渋かった。。。)

Raghuvaran (ラグヴァラン) ரகுவரன்

Raghuvaran
1958年12月11日生まれ。コインバトル出身。
妻はローヒニ。(離婚)
コインバトルのアートカレッジに通っていたラグヴァランは演技とギターにのめりこみ、コネはないもののチェンナイに上京。やがて将来の夢を俳優に絞った。
1983年(1982年?)、タミル映画【Elavathu Manithan】の主役でデビュー。その後悪役にも挑戦。

タミル映画界では、それまでの悪役はとにかく「悪い男に見える醜いルックス」がスタンダードだったところ、ラグヴァランが「スタイリッシュな悪役」という新悪役像を打ち立てた、という評価が高い。
もちろん、その後も主役でもマニラトナム監督の【アンジャリ】(1990年)など、代表作といえる作品も。

ラジニカーントとタッグを組んだ作品がとにかく有名
バーシャ!】(1995年)のマーク・アントニー役は、今でも「アントニー。マーク・アントニー」という台詞をタミル人に言ったら絶対に大受けです。
他にも、日本上映作品では【ムトゥ踊るマハラジャ】【アルナーチャラム】に出演。

2008年3月19日、心臓発作で49歳の若さで逝去されました。

Rahman (ラフマーン) ரஹ்மான்

Rahman
1967年4月15日生まれ。UAEで生まれ、ケーララ州出身(Nilambur, Malappuram district)。
A.R.ラフマーンとは遠縁。(互いの妻が姉妹)
1983年マラヤーラム映画【Koodevide】でデビュー。
タミル映画デビューは1986年【Nileve Malare】。
マラヤーラム映画界のスターだが、タミル映画出演も多い。

実はワタシが国外で初めて、一人でインド映画鑑賞したときに、出演者を全く知らずに観たのが、このラフマーンとパルティバンの主演作【Ninaykkatha Nallillei】(2001年)。
ラジニ映画ばかりを見ていた私の最初の印象は、インド人にしてはずいぶん肌が色白の男優さんがいるなあ、という感じ(笑)

そして、その年末にたまたま見たDVDが彼の主演作【Pudhu Pudhu Atthangal】(1989年)。(素晴しい作品です!)
年が明けてチェンナイに行ったら、偶然の遭遇でびっくり。
そしてそのときの会話で彼におすすめされたのが【Sangamam】(1999年)。
後日、それを観て号泣に号泣。
本数を観てないけど、観たものは印象的な作品ばかりで、とても聡明な俳優さんのイメージ。
他の主演級のサウススターは、日本人的感覚だと一瞬、どうしてこの人がスター?って方が多いけど、このラフマーンは素直にカッコいいタイプかと。。。

公式サイト

Rajnikanth(ラジニカーント) ரஜினிகாந்த்

Rajnikanth
1949年12月12日生まれ。母語はマラーティーだがバンガロール出身。
バスの車掌、木こりなどの職を転々として、友人同士がお金を出し合ってラジニをチェンナイのMadras Film Instituteに送り出し、カンナダ映画にチョイ役で出たりするうちにK.バーラチャンデル監督に見いだされ、タミル映画には1975年【Apoorva Raagangal】でデビュー。

監督の勧めでタミル語を覚え、(タミルネイティブじゃないことによる)独特のしゃべり方やスタイルが評判を呼び、悪役からヒーローに転じ、やがて「色黒・映画界に後ろ盾がない」にもかかわらず「Super Star」にまでなったとしてタミル人の尊敬を受け、たれいばる(リーダー)とも呼ばれている。

…と書いてみましたが、日本人のワタシたちは、【ムトゥ踊るマハラジャ】のあの方、と言えば、もう他に説明はいらないですね(笑)
とにかく、彼がいるから、ワタシのチェンナイ通いが始まったのです!
ええ、私の心のグルです!

Sarath Babu (サラットバーブ) சரத் பாபு

Sarath Babu
1973年テルグ映画でデビュー。
K.バーラチャンデル監督に見出され、1978年タミル映画【Nizhal Nijamagirathu】に出演、ナショナル・アワードを受賞し、以後名脇役として活躍し200本以上出演。

…そういった説明よりも、日本人には、【ムトゥ踊るマハラジャ】のラージャー(ムトゥのご主人様)役、というのが何よりも分かりやすいか!

妻はM.N.ナンビアールの娘・スネーハー。

撮影現場を見学していたとき、サラットバーブさんがちょうど何かをはめているところに遭遇しました。
パチン、パチン…と留める音が静かに周りに響いてました。

ヅ…ヅラだったのか! (【ムトゥ】も!?)

写真は、装備完了後のスマイルです。隠さないところが、とてもステキです♪

Sarathkumar (サラットクマール) சரத்குமார் ராமநாதன்

Sarath Kumar
1954年7月14日生まれ。ニューデリー育ちのタミル人。
ジャーナリスト出身で、1988年、悪役で俳優のキャリアをスタート、後に主役に転じる。
現在の妻は、ラーディカー。(互いに再婚)

DMKに入党し、政治活動を並行。後にラーディカーと共にAIADMKに転じるが、現在は離党し、俳優に専念しているらしい。
現在、ヴィジャイヤカーントの後を継いで、SIFAA(South Indian Film Artist Association)の会長。南インド映画界の人々の世話を焼きながら、続々と出演している。

ラジニカーントのほんの少し下の世代で、ラジニが演じるという噂(一度は公式発表されたものも含む)だった作品を後年、サラットクマールが主演したものが複数あるのが、ちょっと興味深かったりする。(【Ayya】や【Jaggubhai】)

Sathya Raj (サティヤラージ) சத்யராஜ்

Sathyaraj
1954年10月3日生まれ。コインバトル出身。
マニヴァンナンは学生時代の同級生。
コネがないところから映画界に入り、悪役を経て主役に転じる成功を収めたのは、ラジニに相通じるところがあるけれど、サティヤラージ様は生粋のタミル人でタミル語の教育を受け、人一倍タミルに愛着を持つおじさま。
主演作の題名もタミル語によるものが多い。
その熱意が時には映画で過激に表現されたり。(【チャンドラムキ】を不気味にパロった【Englishkaaran】とか、圧巻すぎです。。。)
かつてラジニとも共演してた(1986年【Mr.Bharath】)のに、ラジニを堂々と皮肉ったりするところが彼の凄みでもあり。
ブラックユーモアが利いた映画が多いので、タミル語が分からない日本人には鑑賞がちょいと難しいですが。(勉強しよ!)

日本紹介された映画では、悪役時代の1985年【第一の敬意】、ヒンディー映画初出演?な【チェンナイ・エクスプレス】、カッタッパ役で日本でも大ブレイク中な【バーフバリ 伝説誕生】。

Senthil (センディル) செந்தில்

Senthil
1951年3月23日生まれ。タミルナードゥ州ラーマナダブラム地方の村Ilanjambore出身。
12歳で村を出て職を転々とするうちに、タミル映画界に足を踏み入れ、小さな役でスタート。1980年代後半からメジャーな役柄に就くようになり、やがてタミル映画界のコメディアンとしての名声を欲しいままに。
日本でロードショーされたタミル映画の半数以上(ラジニ映画なら8割以上)に、センディルさんは出てるんでは?それ位、80年~90年代はコメディ俳優としてひっぱりだこ。
【ムトゥ踊るマハラジャ】【ヤジャマン】【アルナーチャラム】【パダヤッパ】【ヴィーラ】【ジーンズ】…
タミル語の台詞が分からなくても、彼が存在するだけで笑いたくなるオーラがバリバリで、癒されるまるまるっとしたルックス。
21世紀に入ってからは、まるまるっとしすぎてちょっと映画出演が減っているようです。
健康にご注意を!

Srikanth (シュリーカーント)

Srikanth
1979年2月28日生まれ。チェンナイ出身。
2002年、タミル映画【Roja Kootam】でデビュー。
テルグ映画界にも進出しているが、そちらではSriramと名乗っている。

甘いマスクでロマンティックヒーロー路線でスタートしたが、男気のある映画にも徐々に挑戦。
爆発的なヒット作はないものの、好意的な評価を受けた作品が多い。

少ししかお話したことがないけれども、元日に式典でお会いしたときに、「ハッピーニューイヤー!」って声をかけてくれたときの雰囲気が、とても好青年で萌え萌えでした♪

Surya (スーリヤー) சரவணன் “சூர்யா” சிவகுமார்

Surya
1975年7月23日生まれ。
父親はスター俳優のシヴァクマール。チェンナイ生まれ、コインバトール育ち。
1997年、マニラトナム監督プロデュース作のタミル映画【Nerrukku Naer】の主役(W主役でヴィジャイと共演)でデビュー。
アイドル路線的な若者映画の出演が続いていたが、2003年の【Kaakka Kaakka】の警官役を演じたあたりでイメージが大きく転換する契機となり、同年秋公開のヴィクラムとのW主演【Pithamagan】で、ヴィクラムの演技に肩を並べるほどの好評を博した。
鍛えまくってムキムキの身体で出演した2005年【Ghajini】では、後にアーミル・カーンが絶賛してヒンディー・リメイクを制作するほどの大成功を収めた。

2006年には、何作も共演し長年付き合っていた(が宗教の違い等で家族に交際反対されていた)ジョーディカーと結婚。
2010年はヒンディー映画にも進出。タミル映画界で現在最も勢いのある俳優のひとり。

S.Ve.Shekar (S.Ve.シェーカル) சட்டநாதபுரம் வெங்கடராமன் சேகர்

S.Ve.Shekar
1950年12月26日生まれ。タンジャーヴール出身。

劇団を主宰し、舞台やテレビで活躍しているが、タミル映画にもラジニカーント主演の【Mr. Bharath】など、90本以上出演。
タミル映画デビューは1980年の【Varumayin Niram Sevappu】。
政治活動も行っている。
日本上映作品は、【ジーンズ 世界は2人のために】(1998年)。

2008年4月、在日タミル人による第1回「Tamil New Year Tokyo」イベントで来日。
笑顔がとてもかわいいおじさまでした。

公式サイト

T.Rajendar / Vijaya T.Rajendar (T.ラージェーンダル) டி. ராஜேந்தர்

T.Rajendar
1955年5月9日生まれ。チェンナイ出身。
「リトル・スーパースター」ことシランバラサン(シンブ)の父です。熊オヤジです。
息子を応援している近年の俳優活動は控えめだが、このルックス(?)でありながら、1980年代後半から、主役兼監督兼音楽監督の作品を数多く発表し、ファニーでセンチメンタルな映画を作ることで有名なオヤジなんです!もちろん歌も歌うし、タミルのクーットゥソングダンスでも定評があるのです。

妻・ウシャはプロのバラタナティヤム・ダンサーだった方で、この夫妻の愛息・シンブもサラブレッドの如く見事に多才な活動をしていますね。

この写真を撮った日は、シンブのファン感謝デー(?)とかで、そこに行けばシンブに会えるらしいと聞いて行ったんですが、シンブは撮影が長引いていて現れず、代りにお父様に会えてしまった、というものです(笑)
熊オヤジでも、大勢の男性ファンが彼に向かって押し掛けてました。

Vadivel (ヴァディヴェール) வடிவேலு

Vadivel
1960年9月12日生まれ。マドゥライ南部の町出身。
1991年、【Raasaavin Manasiley】でデビュー。
1994年の【Kadhalan】あたりから大きく注目されるように。
1995年【ムトゥ踊るマハラジャ】の馬ヅラ男も好演。
ラジニとはその後2005年の【チャンドラムキ】、2008年【Kuselan】でも共演。

2000年代のタミル映画コメディ俳優としては、ヴィヴェークとヴァディヴェールが2大巨頭か。
強烈な個性と存在感を示し、ナチュラルな台詞回しのコメディが売りのヴィヴェークとは好対照。
何気に、歌やダンスも巧くて、(主役じゃないのに)リードダンサーなミュージカルシーンも時々見かける。

その他、日本上映作品では、【ポルカーラム 愛のたからもの】(1997年)でのヴァディヴェールの熱演、涙無しでは見られません。コメディだけじゃなく泣かせる演技も巧い!

Vaiyapuri (ヴァイヤープリ) வையாபுரி

Vaiyapuri
10月23日生まれ。
1990年代からコメディロールを中心にかなりたくさんのタミル映画に出演している俳優。
俳優になる前は、有名な食堂チェーンのヴァサンタ・バヴァンのホール(?)で勤めていたとか。バーラティラージャー監督の下でアシスタント・エディターの経験も。

顔が細長い。タミル映画界一、細長いんじゃ?
それだけにこの特徴的なお顔は、印象に残りやすい。
カマルハーサンやヴィジャイ映画によく出てるので私にはとってもお馴染み。ラジニとは【Kuselan】で初共演。

Vijay (ヴィジャイ) ஜோசெப் விஜய் சந்திரசேகர்

Vijay
1974年6月22日生まれ。父はタミル映画の著名な監督 S.A.チャンドラシェーカル、母はカルナーティク音楽やプレイバックシンガーのショーバー。(今でも息子の映画でも時々歌っている)
チェンナイ育ち(実家はAVMスタジオの近く)で、幼い頃から父親に連れられて撮影現場に出入りし、時にはクレジット無しの子役出演もしていた。
1992年、18歳で地元のLoyola College在学中、父の監督作【Naalaya Theerpu】で主役デビュー。
軽々とこなすアクションとダンス、親しみやすい笑顔で、早くからポスト・ラジニカーント候補最有力といわれる人気を得ていた。
2003年【Thirumalai】で、ルックスがシャープになって目力も加わり、それまでのボンボン的役柄から脱却。次世代スーパースターの道を驀進中。

ヴィジャイはいろいろな言語の映画は好きだが、自分が出演するときは自分の母語「タミル語」で「自分の肉声」で演じたい、自分の声を他人に吹きかえられてまで他言語の映画には出演したくない、と何度も語っている。
ヒンディー映画進出等にはあまり関心を示さず、ダンスでもタミルの民俗舞踊・音楽の要素が強いダンスシーンでは特に燃えまくり。(実際、隣のテルグやマラヤーラム映画にも出演していない。)
Azhagiya Thamizh Mahan」(美しいタミルの息子)とは、まさにヴィジャイのこと!ミスター・タミルと呼んでもいいかも。愛称は「イライヤ・ダラパティ(若きリーダー)」や「VJ」

Vijayakanth(ヴィジャイヤカーント) விஜயகாந்த்

Vijayakanth
1952年8月25日生まれ。マドゥライ出身。
愛称は「captain」(キャプテン)
ラジニカーントとほぼ同世代のライバル。
日本で彼の映画が紹介されていないが、彼の熱血慈善活動は昔から有名で、2000年代前半にチェンナイを旅行するたびに、ラジニとほぼ同数のファンお手製と思しき看板を見かけた。それだけ公私にわたり心酔するファンを多数かかえるヴィジャイヤカーント様はまさにキャプテン!

キャプテンの郷土愛に溢れた熱い演技は、目力が特徴的。「ミスター血眼」とも言っていいかと!
面倒見のいいキャプテンは、長年、「SIFAA」(南インド映画俳優連盟)の会長を務め、2002年には犬猿の仲とも噂されたラジニをも説得し、タミルスターを総動員したチャリティコンサート「Tamil Mega Star Nite」をマレーシアとシンガポールで実現させた。
2005年頃から政治活動を本格的に開始。
近年の映画活動は控えめだが、キャプテン・ヴィジャイヤカーント様は不滅です!

Vijayakumar (ヴィジャイヤクマール)விஜயகுமார்

Vijayakumar
1949年8月29日生まれ。タミルナードゥ州ナットゥチャライ出身。
幼い頃から俳優を目指し、12歳の1961年、シヴァージ・ガネーシャンの【Sri Valli】でデビュー。15歳でチェンナイに上京するもチャンスに恵まれず、次にメジャーな役柄で出演したのが1974年【Aval Oru Thodar Kathai】。
ラジニカーント映画の常連にしてラジニの親友。
マンジュラーと結婚。娘のプリーター(【パダヤッパ】の長女役、ハリ監督と結婚)、シュリーデーヴィも女優。
哀愁を漂わせた父親役の演技とか、たまらんです。

Vikram (ヴィクラム) விக்ரம்

Vikram
1966年4月17日チェンナイ生まれ。(Wikipediaによる。本人は生年非公表。2004年初頭当時、チェンナイで関係者に訊ねたときは既に40代になっている、とのことでしたが…?)
1990年、タミル映画【En Kadhal Kanmani】でデビュー。なかなか注目されず、クレジットされないような端役や吹替え(プラブデーヴァーやアッバースなど)、プレイバックシンガーをこなしながら10年近く長い下積み時代を過ごす。
1999年、タミル映画バーラー監督作【Sethu】が成功、2002年には【Gemini】、2003年には【Dhool】と【Saamy】が爆発的ヒット、その後は演技派アクション俳優としてスターダムへ。
2007年のシャンカル監督【Anniyan】では3重人格の主人公を熱演、アンニヤンの物真似が大流行。
2000年代後半からは、身体を鍛えて男臭くて筋肉美的なイメージも高めている。
2010年、マニラトナム監督【ラーヴァン】でヒンディー映画にもデビュー。(タミル版【Raavanan】では主役) 2011年【神さまがくれた娘】は2014年に日本公開!
カマルハーサンの後継者的なポジションにいる。
愛称は、Chiyaan(チヤーン)。
(→ご対面日記’04

Vivek (ヴィヴェーク) விவேக்

Vivek
1961年11月19日生まれ。タミルナードゥ州コーヴィルパティ出身。
1987年、タミル映画【Manathil Uruthi Vendum】でデビュー。
愛称は「Chinna Kalaivanar」。
日常生活に馴染んだ(他の多くのコメディ俳優と違って大げさではなく)ナチュラルな台詞回しに社会風刺をこめたコメディで人を笑わせるのを真骨頂とする、現代のタミル映画界コメディキング。
日本上映作はラジニカーント主演の1994年【ヴィーラ】。ラジニとは【Sivaji the boss】などでも相棒役で共演。
シャンカル監督作品では、ただのコメディロールで留まらず、ストーリーに深く絡んだ役も演じていることが多い。(【Sivaji the boss】の他に、【Boys】、【Anniyan】など。)

2000年代前半は、タミル映画の大ヒット作の8割9割に、ヴィヴェークが出演しているほどの独壇場状態だった。
特に若手俳優が主演の映画に出演すると、主役の登場時よりヴィヴェーク登場時の方が映画館内が大喝采になるのを目の当たりにした経験が何度もあります!

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